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「老い」礼賛はやめて!ノーラ・エフロンの傑作エッセイ「首のたるみが気になるの」

新しい本を買って「面白くなかったらメルカリで売ろう」と思うようになったのはいつからか?

売る前提で買うものだからカバーをかけてキレイに読む。私はお風呂で本を読むのが好きなのですが、これをやると、水濡れしてもうブヨブヨ。

なので、面白さが確認できない時点ではまず、そんなことはしない。

みじめん
でも、面白いと思ったらお風呂で読む。

その通り。
要するに、繰り返し読む本、自分にとって大切な本ほどブヨブヨ率は高くなるってことです。

で、本日は愛しのブヨブヨ本の中から一冊。


首のたるみが気になるの (集英社文庫)

これ、少なくとも30歳以上の女性は全員読んだ方がいいエッセイです。

私が買ったのは単行本でしたが、文庫化もされている。この出版不況の折り単行本の文庫化は難しく、さらに翻訳ものの文庫化となるとよほどの有名作家じゃないと難しい。

つまり、地味に売れてるってことですね。なんか、よかった。

メグ・ライアンを送り出した映画監督ノーラ・エフロン

本書のタイトルから内容は想像が付くかとは思います。「老いとか美容に関するエッセイだったりするんでしょ」ということくらいは。「やや自虐よりのエッセイなんだろうなぁ」ということも。

みじめん
だけど、著者のノーラ・エフロンって誰なの?

ですよね。
先に説明しますとノーラ・エフロンは脚本家で映画監督です。

監督作品(兼脚本)として有名なのは『ユー・ガット・メール』とか『めぐり逢えたら』とか。


めぐり逢えたら (字幕版)

どちらも、トム・ハンクスとメグ・ライアン主演のラブコメディの良作です。胃もたれすることなくハッピーな気分になる。この人の作品全体に言えることですね。

ただ、個人的には監督というより脚本家としてのセンスが図抜けた人という印象。

ノーラ・エフロン映画の登場人物は誰もかれもがよく喋るのですが、台詞の名人だと思います。映画界に転身する前はニューヨーク・ポストの記者で、要するに言葉の世界の人だと思うのです。

自身の監督作『めぐり逢えたら』が良作なら、脚本のみの『恋人たちの予感』は傑作です。


恋人たちの予感 (字幕版)

 

みじめん
つまり、監督やるなってこと?

それは言い過ぎってものです。

本作は『スタンド・バイ・ミー』をヒットさせ乗りに乗ってるロブ・ライナーが監督したものですが、40年近く前の作品でもまったく褪せない。

なお、ノーラ・エフロン監督の『めぐり逢えたら』にはそのロブ・ライナーが俳優として出演しています。トム・ハンクスとランニングしてたんだっけか。

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「老い」礼賛に対し、「この人たちに首はないわけ?」と返すノーラ・エフロン

いったい何の話よって感じですが、エッセイの話でしたね。

『恋人たちの予感』を見た後に『首のたるみが気になるの』を読むと、ちょっと続編っぽい感じも味わえます。メグ・ライアン演じるサリーという主人公が60代になったようなタッチの本なので。

みじめん
ラブコメ主人公の60代ってあまり想像したくない

確かに。

今のは忘れてください。別に映画なんか見なくても楽しめます。当たり前です。

ともあれ、「老い」というのは「老い」と書いただけで辛気くさい気分になるものですが、エフロンが書くと何故だかそうはならないのです。

ときおり老いについての本を読むことがある。が、どの本にも、「老いることは素晴らしい」と書いてある。(中略)老いてようやく、人生で本当に大切なものが見えてくるであろう。

そんなことを平然と語る人たちがいること自体、私には信じられない。いったい何を考えているのだろう。この人たちに首はないのか?首が隠れる服を探すのに苦労したことはないわけ?

~~『首のたるみが気になるの』ノーラ・エフロン著・阿川佐和子訳

本書の一番最初のエッセイですが、「この本は絶対売らない!」「お風呂場で読んでよし」と自分にゴーサインを出したのはこのくだりだったか。気に入ったあなたは今すぐAmazonにGO!

松下由樹が『思い出に変わるまで』

再び脱線します。

みじめん
また?

バブルの頃、内館牧子脚本の『思い出に変わるまで』というドラマが大ヒットしました。


想い出にかわるまで DVD-BOX

 

画像悪すぎですね。ジャケ写は今井美樹と石田純一です。今の純一はコロナに罹患したイメージしかありませんが、当時は引く手あまたのトレンディ俳優でね。

本作でも引く手あまたです。

今井美樹の恋人だったのが、妹役の松下由樹の誘惑に負けてしまう。この時の松下、可愛いけど、わがままな小悪魔妹タイプみたいな女の子。女子はみんな嫌いでした。

みじめん
松下由樹
みじめん
今は気のいいオバサンイメージ

20代の松下由樹は瘦せてて小動物系の顔立ちで「彼氏を取りそうなイメージ」しかなかったのですね。

それが、30歳過ぎる頃には少しぽっちゃりし、顔もたるみ始めた。女子に嫌われそうな「女子中の女子」だったはずが突如として「いい人そう」イメージに変化した。

そんな頃合いに、松下由樹が女性誌のインタビューを受けていた。そこで語っていた内容は「30代って楽しい!年取るって素敵だね」みたいな経年賛歌。

記事の見出しも覚えています。

「早くおいでよ、30代!」

もちろん、「30代って楽しい!」って言わせるように仕向けたのは編集者とライターです。だけど、言われれば言われるほど恐ろしい気分になり、30代にはますますなりたくないと思いました。

こちとら当時は20代。経年に対し一番デリケートな時期です。人間としての成熟度とか仕事のキャリアとか、そんなことはどうでもよかった!

彼氏を取りそうだった松下由樹が、すっかりオバサン顔いい人になって「経年賛歌」していることに、相容れないものを感じたわけです。

といっても、今思えば、まだ、たったの30代だったんですがね。

みじめん
ノーラ・エフロンなら理解してくれるはず

甲状腺腫が怖いので首は見ないようにしています

さて、脱線終わり。
ノーラ・エフロンはある時、女友達とレストランに行きました。したらば、がく然。なんと、その場にいた全員がタートルネックのセーターを着ていた!

みじめん
首のシワを隠すために?

シワだけではない。
彼女いわく、首問題はもっと複雑なんだそうな。

一口に、“首”と言ってもいろいろだ。鶏のような首、雄の七面鳥のような首、象の首、肉垂れ首、ヨレヨレ首、筋ばり首、たるたる首、ぶるぶる首、肉垂れ寸前のシワシワ首、骨ごつごつ首、骨太首、たるみ首、ちりめんジワ首、シマシマ首、シミ首。今、記した特徴をすべて兼ね備えたてんこ盛り首。

~~『首のたるみが気になるの』ノーラ・エフロン著・阿川佐和子訳

書き写した今、クビ神経症みたいな気分になりました。

みじめん
自分はどんな首なのか?

頑張って羅列してくれたノーラ・エフロンには悪いけど、実は上記のどれにも当てはまりません。

ノーラには本当に悪いけど、まだ40代なんでね。

ただね。私の首には良性の腫瘍があります。

命には関わらないけど、それが徐々に大きくなり、甲状腺の辺りがそこはかとなく凹っとなってるわけです。意識しない人は気づかない。だけど、意識する人にはその凸は明らか。もうそろそろ取ってしまうか。手術、やだけど。

言うならば、甲状腺凹首。怖いから、ずっと見ないようにしています。自分の首をできるだけ見ないようにして8年くらい経ちます。

みじめん
ノーラ・エフロンも「鏡を見ないようになった」と。

大いに同じです。
20代の頃は鏡ばっかり見てた時期がありました。多くの若い女性と同じようにね。

だけど、出産して35歳を過ぎる頃から鏡など、できれば見たくないと思いました。今は洋服のコーディネートを確認する時くらいしか鏡は見ません。それも、できるだけ自分の顔は見ないようにしている。多くの中年女性と同じように。

阿川佐和子が6年近く翻訳サボってイラっとしたけど

断っておきますが、『首のたるみが気になるの』は首だけのエッセイではありません。当たり前です。「文字が読めなくなった」みたいな老化問題もありますが、黒井千次の高齢者エッセイとはまた趣旨が違う。

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どちらかといえば、60代女性が毒舌とユーモアでもって人生振り返る系です。といえば、『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたのために愛をこめて書いたので読んでください。』(藤森かよこ)と似てなくもない。

何ちゅータイトルか!って感じですが、ノーラ・エフロンを気に入った人なら『馬鹿ブス』も気に入るんじゃないかと思います。

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ただし、ノーラ・エフロンにビンボくささはゼロ。自分をクサしても落としても、どことなくクールなのは、ニューヨーカーだからなのか(※こういう見方は80年代っぽいですが)、はたまた、翻訳のおかげか。

みじめん
阿川佐和子の訳がかなり秀逸

その通り。原文はどうなのかわかりませんが、文語体、口語体入り混じり、語尾の締め方も上手すぎてクラクラする。

一方、阿川佐和子のまえがきを読んで少しいらっともしたわけです。

本書の初版発行は2013年。ですが、阿川さんに翻訳の話が舞い込んだののは少なくとも6年くらいは前だったらしい。

が、多忙過ぎてずっーとずっーと取り掛かれなかった。

そうこうするうち、月日は流れ、2012年、ノーラ・エフロンは死んでしまった!

この下りにはガーンとなります。亡くなったのは急性白血病。阿川さんとて青天の霹靂だったでしょうが、さっさと仕事すればノーラ・エフロンだって「日本で刊行?わぁ、嬉しいわぁ」と思ってくれたかもしれないのにさ。

まえがきにあるように、ラストのエッセイは「もしかしたら、死期を予感していたのでは?」と思わなくもありません。

といっても、病や死や別れを書いても、ノーラ・エフロンの場合は辛気くさくはならないわけですが。

老いを書いても、死を書いても、辛気くさくならない。

どうしてなのかね? その秘密も知りたい。この先の人生も繰り返し読むことになるのだろうなと思います。さらにブヨブヨになるまで。

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