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【志村ロスのための3万字フジファブ史③】透明ギターの山内総一郎がボーカルを引き継ぐまで

現役ライターが過去のインタビュー記事などから再構成した志村時代のフジファブリック史・最終章。

デビュー前からの夢だった地元ライブを終えた志村正彦は「夢叶えた現象から一回灰になってしまう」。長年のスランプと相まって、バンド解散の危機に瀕して……。

魚の目
なんか連ドラのあらすじみたい。

ね。この後に「やる気復活。怒涛の作曲モード」「フジファブリック黄金期か?」と思いきや、その陰で「脱退を考えていた透明ギター山内」があったり。

さらに、その数か月後に、志村がこの世界からいなくなってしまうなんて。

残されたメンバーはどんな決断をしたのか。取材記事やメンバーのコメントを拾いつつ、志村生前最後のアルバム『CHRONICLE』、メンバーがその意志を引き継いだ『MUSIC』まで振り返っていきます。

タダで読める「志村時代のフジファブリック」は本シリーズが一番詳しいですよ。

フジファブ史1はこちら

フジファブ史2はこちら

魚の目
おそろしく長いからブックマーク推奨。

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「音楽やめたい!」志村正彦、スランプから絶頂期へ

DVD『Live at 富士五湖文化センター』 「茜色の夕日」で号泣した志村

3枚目のアルバム『TEENAGER』 ツアーの追加公演として行われたのが、富士五湖文化センターでのライブ。

公演は2008年5月31日。志村が亡くなる前年のことです。

魚の目
この時のライブはDVDにもなっている。

[収録内容]※当日のセットリスト
Opening(大地讃頌) (山梨県富士吉田市立下吉田中学校 平成七年度卒業記念(志村在籍)より)
ペダル
記念写真
B.O.I.P.
Sunny Morning
chocolate panic
桜の季節
唇のソレ
ロマネ
線香花火
浮雲
まばたき
若者のすべて
星降る夜になったら
銀河
TAIFU
Surfer King
TEENAGER
茜色の夕日(En1)
陽炎(En2)

実は、ファン歴の浅い自分は当初「なんで富士五湖文化センター?」と思ったわけですが。

山梨県富士吉田市は志村正彦の地元です。

地元で最初で最後の凱旋ライブ。ミュージシャンになりたいと思った時から「いつかきっとここで演ってやる!」と決めていたといいます。

当時のブログ日記にはこうあります。

終わりました。うーん。どう書けばいいものか。夢の舞台、富士五湖文化センター公演、すべてを出し切りました。(中略)まさに至福の時とでもいうべきか、世界の主人公になったとでもいうべきか。(2008年6月1日『東京、音楽、ロックンロール』)

 


東京、音楽、ロックンロール 完全版

富士吉田のライブで志村は「ミュージシャンになったけどいいことばかりじゃなくて」「自分がなりたくなかった大人(会社員)になった友人が実際は幸せそうに見えて、羨ましく思う日もあって」といった、非常に率直な気持ちを吐露します。その後、アンコールの『茜色の夕日』で大号泣。

魚の目
ファンでなくとも心打たれる

「泣くのはあれが最後!」とは本人の談ですが、同じシーンはシングル『sugar!!』の特典映像にもなっていました。

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フジファブリックの今後の活動は不明(志村)

同ライブのMCでは「フジファブリック、次のライブは決まってません」みたいな話もしています。決まっていないというより、選んでいるのか位に思っていたのですが、志村には別の含みがあったという。

魚の目
もうバンドやめるかくらいの気持ちね

この頃のブログ日記(『東京、音楽、ロックンロール』に再録)は楽しそうに書いているけれど「(公式日記だけに)あまりネガティブなことは書かない方がよい」という自制心も働いていたらしい。当時を振り返り、志村はこう語っています。

次のライブの予定ってたぶん1本も入ってなかったんですよね。『それ以降、正直活動するかわかんないので、全部ナシにしてください』って(事務所に)言って。

『富士吉田でライブやって、もう夢かなえたから音楽やめて、そろそろちゃんとした仕事に就かなきゃな』みたいなところにいっちゃってたんですよね。

正直言うと『(曲)作れないから、灰になっちゃったから、次の仕事どうしよう』って思ってましたね。

~~志村正彦『ロッキング・オン・ジャパン』09年5月号

地元ライブの直前にポリープも見つかっていました。いわくライブ終了後から暗黒の6月に突入したと。その1か月間は強行的にオフをもらったそうです。仕事をキャンセルしてデモテープ発表会なんかもすっ飛ばして休んでいたと。

「仕事したくない、病気を治すのに専念したい」っていうのがあって。ポリープじゃないほうの、電車に乗れないとかの病気です。(中略)病気が進んじゃうんで、曲作りもやめようと思ってて」
~~志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』(富士吉田ライブ後を振り返り)

魚の目
曲作らなきゃ!みたいなプレッシャーはずっと続いていたんだよな。

 

07年秋頃からパニック発作に苦しめられてましたからね。

「曲ができない、できない」みたいな話を志村はよくしていますが、実際はまったくできなかったわけではないみたい。

下記の本には作詞について語る志村のがっつりインタビューが載っていますが、「ものすごい量のストックがあるのね」と読んだ時には思ったような。


音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか (SPACE SHOWER BOOks)

「若者のすべて」は今の自分にとってウソに思えた(志村正彦)

だけど、たくさん作ったところで自分で本当だと思えないようなことは歌えないのだと。

これは別の雑誌でのインタビューですが、当時は『若者のすべて』の「前向きさ」が志村にとっては「ウソ」になっていた。こういう曲をライブで歌うと数日後に体調崩すくらいのことを言っていた。

ファンには聴き捨てならない気もしますが。

魚の目
『若者のすべて』は志村自身、大好きな曲だったじゃん

まったくね。↓下記にあるようにね。

「若者のすべて」を一番好きなのは自分。By志村

もちろん、曲自体を否定しているわけではない。ただ、当時の志村はもっとドロドログログロしたものを抱えていたのではあるまいかと。

バンドやめたい騒動の時、メンバーは何してた?(ダイちゃんの吉田うどん)

さて、志村が「やめたい」騒ぎを起こし、オフを取っていた頃、ほかのメンバーは何を思っていたのか?

ダイちゃんの『週刊金澤 2007-2014』(※金澤ダイスケが当時連載していた週一日記)は参考にはなるかな。


週刊金澤2007-2014 (SPACE SHOWER BOOKs)

2008年6月12日の日記タイトルは「うどんを作ろう!」です。

魚の目
うどん?なんだ、それは。

吉田うどんのことです。

吉田うどんというのは山梨県富士吉田市の名物でものすごくコシのあるうどんです。でもって、志村の大好物。

これを食べるためだけに自宅から1時間半かけて帰郷したりもしていたようですからね。

で、料理好きのダイちゃんはオフの間にこれを作ってみたらしく、レシピを公開しています。さりげなく「見守っている感」が漂い「いいやつ!」って感じがします。

吉田うどんは志村ファンの間で有名です。折角なのでダイちゃんレシピ、載せましょうか。今でもたまに作るくらいの、自信作らしいので。

材料は1人前。
強力粉100g、ぬるま湯50ccに塩小さじ1を溶かしておくと簡単です。

ボウルに材料を入れてコネコネします。のんびり10分くらいコネコネしたところで、ビニール袋に入れて30分以上寝かせてあげます。寝かせ終わったらビニール袋の上から上司のことを思って踏むもよし、ビニール袋から出して手でコネコネするもよし。そしたら薄く綿棒で延ばしてあげましょう。うどんは1、5倍位に膨らむので気をつけてね。さぬきうどん位の太さを目指しましょう!たっぷりのうどんで茹でて完成!!

金澤ダイスケ:作 『週刊金澤 2007-2014』

ちなみに、当時の解散危機のことを聞かれ、金澤はこう答えています。

「志村はああいってるけど、本当に辞めたいと思っているわけじゃないだろうなって。だって、音楽的な展望の話はよくしていたから。『俺はこうしたいんだよね』みたいなことを(中略)。そのうち流れるように進んでいくだろうと。そういうバンドとしての自信はあったんですね」
~~金澤ダイスケ『週刊金澤 2007-2014』

1か月間休みをもらった志村は結局、音楽のことばかり考えて過ごしていたそうです。

スランプ志村が一挙に作曲モードへ

魚の目
ともあれ、暗黒時代から3か月ほどで志村、絶頂期に。
魚の目
ダイちゃんの吉田うどんのおかげで。

いや、それはどうなのかと思いますけど。それがメインではないと思いますけど。
ただ、ダイちゃんのコメントは当たらずとも遠からずで、一番の触発材は「歌えなくなるかもしれないことへの恐怖心」だったらしいですね。

志村は2008年9月にポリープ手術を受けています。
そこで、考えた。

「万一、失敗したら声が出なくなってバンドをやめなきゃいけなくなるかもしれない」と。

魚の目
あれれ。バンドやめようかって言ってたくせに。

気が付いたら「やめなきゃいけなくなるかもしれない」みたいな他動的なことになっていますね。まぁ、いいじゃないですか。

この危機感、恐怖心から、曲がどんどん出来るようになったらしい。もしものために、自宅でデモテープ全部作ってアレンジも全部して歌詞作って歌入れしてメンバーに渡していたそうで。

翌年5月に発売する4枚目のアルバム『CHRONICLE』の曲はオフを取った後、手術の少し前、7月から8月の一か月ほどでほぼ完成していたようなのです。

曲ができない時は、もう音楽辞めて田舎帰ってファストフードでバイトしようかなとか思うんですけど。曲ができるともう、天才だ、この世で一番の天才だって思いますね。

その快感を覚えちゃってるから、抜け出せないんですよ。音楽家っていうのから。ほかの職業はたぶん、できないと思いますね。            ~~志村正彦『FAB BOOK』


FAB BOOK―フジファブリック

透明ギターの山内総一郎、『CHRONICLE』で脱退を考えた

で、そうやって完成したのが4thアルバム。全15曲、トータル70分の大作。フジファブリック初の海外、スウェーデンでのレコーディングです。
発売は2009年5月発売。オリコンチャート8位。

このジャケット、大好きです。


CHRONICLE(DVD付)

【収録曲】全作詞作曲:志村正彦
F★1.「バウムクーヘン」
F★2.「Sugar!!」(シングル)
3.「Merry-Go-Round」
4.「Monster」
★5.「クロニクル」
★6.「エイプリル」
★7.「Clock」
8.「Listen to the music」
9.「同じ月」
F★10.「Anthem」
11.「Laid Back」
12.「All Right」
13.「タイムマシン」
14.「ないものねだり」
15.「Stockholm」
(★印は個人的にお気に入り。F=ファンの人気投票で選ぶベストアルバム『FAB LIST1』収録曲)

特典も豪華です。DVD「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」(レコーディング風景のほか現地女性に聞いた「メンバーで誰が一番カッコいいか?」選手権などもあり)つき。

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今の自分が正論ぶった歌をやると倒れてしまいそうで(志村)

『CHRONICLE』は前作『TEENAGER』同様、聴きやすいメロディが多いです。

ただし、ポップで聴きやすいのに歌詞はネガティブ人間の極み。

魚の目
またしても一人!みたいな歌ばっか。

なおかつ、初期の頃(『フジファブリック』や『FAB FOX』)の歌詞にあった文学的な風情はなし。口語体で女々しさを歌うような感じ。前述した通り、これらの曲を作った時、志村はボロボロだったわけです。

たぶん、今の僕がすごい正論ぶった歌詞を書いて、余裕綽々の表情で歌ってっていうことをライブで2日くらいぐらいやったりすると、もう吐いて倒れて立てなくなっちゃうぐらい、嘘つくとダメなんですよ。

『抜けられた』とか『抜けたい』とか今までは言ってたかもしれないけど、全然実は抜けてないんですよね。音楽家をやっていく限り、苦悩はずっと続いていくし。

だから敢えて『僕らはとても幸せで充実した日々を送っている』とかそんな楽曲を作ろうなんてことにはまったくならなくて、『もうダメだ』とか『もう誰もいない』とか現実のことを言うことによって、作家たちは救われるんですよね。

~~志村正彦『CHRONICLE』について『ロッキング・オン・ジャパン』2009年5月号


ROCKIN’ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 05月号 [雑誌]

苦悩とか、救われるとか、いちいち言葉が重いです。でも、そんな重さを歌っているのに、メロディは聴きやすいってどれだけの才能か。歌詞は内を向いても、曲はちゃんと大衆を見ているというか。

『CHRONICLE』は志村の失恋譚

魚の目
『CHRONICLE』は歌詞すべてが私小説なんだって。

らしいですね。

――今から2年ぐらい前のライブの打ち上げで志村くんと話をしたのを覚えてると思いますが…その時あなた、恋をしてましたね。
「そうですねぇ……」
――頼んでもいないのに恋愛事情を全部聞かされまして。
「はい……」
――当時の恋愛モードだった志村くんがいて、あれからもう2年ほど経ちますが・・・・・・。
「そうですねぇ……」
――あの時の志村の恋物語、今ここに完結、みたいな(笑)。
「行く末はこうなった、みたいな(笑)」

~~志村正彦『音楽と人』2009年6月号


音楽と人 2009年 06月号 [雑誌]

魚の目
ファンには聞き捨てならない話

ですね。
若人の恋愛にあれこれ口を突っ込みたくなる年齢だったりするのでね。志村いわく、本アルバムは「歌詞の説明をするとなるとものすごく具体的になってしまう(笑)」とのこと。

ともあれ、そこまで自分をさらけ出しただけはあり、「これで世の中に受け入れられなかったらもういい」くらいの覚悟はあったようです。

魚の目
このアルバムを作るまでは絶対に死ねない!とかも言ってたよな。

……よく言ってましたね。
その後のことを知っている我々は深読みせずにいられないわけですが、一方でこうしたギリギリ感みたいなのはメンバーの共通認識ではあったようで。

2010年に発刊したフジファブ初のアーティストブック『FAB BOOK』で、金澤ダイスケはこんなことを言っています(取材は志村が生前していた頃のもの)。

(毎回)一枚のアルバムをつくるたびに、ものすごい苦労をしているんですよ。終わった時には次のまたやれるかなっていうくらいになるから。ぞうきんを絞り切って、カチコチになったような状態ですね。
〜〜金澤ダイスケ

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フジファブリックは志村のワンマンバンドだったか?

魚の目
ところで、『CHRONICLE』は志村色が濃いじゃない。
魚の目
他のメンバーはどう思ってたのかね。

『TEENAGER』は共作も多かったけど。今回は全作詞・作曲とも志村正彦、ほとんどのアレンジも志村正彦。ワンマンといや、ワンマンです。いや、最初からそういうバンドでもありましたが。

――やっぱり、ワンマンだなぁと思う。・・・・・・異論ある?
「あります!最近僕はバンドの中でも、一見協調性があり、ワンマンでない風にしてますよ。心の中ではもちろん思ってるんですけど、もうそれを武器にしていません」
~志村正彦『Sufer King』インタビュー 『音楽と人』(07年7月号)

「一体アンタ何言ってんの?」感満載で面白すぎるんですが。

透明ギターは脱退の意思表示(山内総一郎)

ともあれど。
今回の『CHRONICLE』。
富士吉田ライブ後志村灰モードだったのが一転、その1ヶ月後くらいに怒涛の作曲モードに突入と。

で、「全曲、自分で作りたい」と志村が突然言い出した。

メンバーとしては「え? どうしちゃったの?」って感じではなかったのか。復調したのはよい、デモもいい曲ばっかり。とはいえ、やや困惑交じりだったのではあるまいか?

ギターの山内総一郎(現・兼ボーカル)は、それから6年ほど後のインタビューでこの時のことを振り返っています。

(志村くんは『CHRONICLE』で)「パワー・ポップがやりたい」ってずっと言ってたんですよ。(中略)アヴリル・クィーンとかよく聴いてたんですよね。志村くん的には次作ではそういうのがやりたいと。正直、俺としてはギター・プレイだけで言えば、疑問だったんですよ。「え、マジで?」って(笑)。

~~『フジファブリック 山内総一郎』


フジファブリック 山内総一郎 (GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES)

山内は『FAB FOX』や『TEENAGER』で曲を作っています。「音楽家として自分を表現したい」という意味では一番志村に近いものを持っていた。

『絶対的にプロ志向!』の目線で高校生の頃から戦略的に階段を上って行ったあたりも、2人は似ている。山内は周囲がコピーバンドだらけの中、「自分の曲をやらないと意味ないでしょ」と冷静に考えていましたし。

彼はまた、最近のインタビューで「起き抜け(歯を磨く前、顔を洗う前)にまず楽器を弾く」儀式(?)について語り、金澤、加藤両名に困惑されていました。こういう「よくわからないこだわり」は志村のキャラと少し被るような。

バンド内において金澤、加藤がどちらかといえば「受け」であるのに対し、山内は志村同様、「攻め」のタイプです。もともとは「曲を作りたくてバンドを始めた」みたいなところもあったわけです。

そんな山内ですから、脱退の結論が出てくるのもむべなるかな。

正直に言うと、これ(『CHRONICLE』)が出来たら俺はフジファブリックを抜けようって思っていたんです。実際、加藤さんにはそういう相談をしていましたし。

あの時のツアーで俺、透明のギターを使っていたんですけど、あれもそういう意思表示っていう意図もあったりして。

~~『フジファブリック 山内総一郎』

「あの時のツアー」はDVDになってます↓ 美しい透明ギターもね。

これからまた楽しい音楽人生が始まりますよ(志村)

魚の目
じゃあ、この頃、メンバー間はピリピリしていたのかね?

想像ですが、そこは分けて考えていたんじゃないですかね。

なんだかんだいって山内は志村を天才だと思っていたようですし、その美学には憧憬の念を抱いていた。『CHRONICLE』はスウェーデンでのレコーディングで1か月近くがっつり共同生活を送ったわけで、メンバーの間にこれまでにない結束が生まれたのもまた事実。

2019年発売の『別冊音楽と人×フジファブリック』にはメンバー3人の座談会が載っています。インタビュアーが「フジファブリックほど仲いいバンドは中々いない」みたいな話をするわけです。

   ――でも最初からそうだったわけじゃないでしょ? いつからそういう感じになったの?
山内「えっーと、2008年から2009年にかけて。なんかね、僕らがそういう仲になったきっかけは志村くんだったような気がする」
――どうして彼が?
山内「志村くんを中心にみんなで呑みに行くようになったんですよ」
加藤「それまでと違って、志村くん自身が僕らに開こうとしていたんですね。僕らメンバーを本来の意味で仲間として認めてくれたというか(中略)」


別冊 音楽と人×フジファブリック 音楽と人増刊

志村正彦なりに気を遣っていたんでしょうかね。

当時のライブもメンバーがリラックスしていて、かなり良い感じ。

DVDとして残っている先のCHRONICLEツアーや5周年ツアーは音質・映像はお世辞にもいいとは言えませんし、志村の声の伸びもイマイチ。だけど、みんな楽しそうです。5周年ツアーの方は09年10月ごろ。

……志村の死の2か月ほど前ですが不幸の予兆なんて見当たらないし。

当時の志村の日記にはこう綴られています。

ちょっとね・・・これからまた楽しい音楽人生が始まりますよ。(奥田)民生さん曰く、これから楽しいことばっかり待ってるぞ。らしいです。僕もそんな気がしています。なんたってバンド楽しいからね。仲良しこよしのバンドって妙に嘘くさくて憧れないんですが、今のフジファブリックはなんか雰囲気とてもいい。(中略)これからメンバーと作り上げる作品は想像を絶するくらいの作品になりそうです。

~~志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』2009年9月14日

けれど、その道半ば、志村正彦は29歳で急逝してしまいます。

2009年12月24日……。

死因は今も不明です。その死について、また、メンバーや関係者の談話は下記ブログにて。

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5th『MUSIC』(2010)――志村亡き後、メンバーは何を思ったのか

5th『MUSIC』(2010)――志村の遺志を継ぎメンバーが完成

志村が亡くなった翌年の2010年7月、フジファブリック5枚目のアルバムが発売されました。

先ほどのね、「楽しい音楽人生が始まります~」の日記には続きがありましてね。

フジファブリックの次作は、ちょっと考えてます。フジファブリックはフジファブリックであろうとするために常に新しいものにチャレンジしてきました。

いっつも作品を作るたびに何かを封印し、何かを切り開いてきました。武器を見つけては使って、また封印し。次作、封印していたものを解き放ちます。(中略)お客さんの反応が楽しみで仕方がありません。

フジファブリックの持っている武器は次作、爆発させるつもりです。

~~志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』2009年9月14日

【収録曲】※特に名前のないのは作詞作曲:志村正彦
1.「MUSIC」
2.「夜明けのBEAT」(「モテキ」主題歌)
3.「Bye Bye」
4.「Hello」
5.「君は僕じゃないのに」
6.「wedding song」
7.「会いに」(ボーカル::山内総一郎、作詞:加藤慎一、志村正彦、作曲:志村正彦)
8.「パンチドランカー」
9.「Mirror」(ボーカル: 山内総一郎、作詞:志村正彦、作曲:山内総一郎)
10.「眠れぬ夜」
魚の目
生前にレコーディングを終えていたってこと?

とはいっても、デモ段階かと。『MUSIC』のことを指していると思われる、志村の日記もありましたけどね。

レコーディング。最強。最強なものが出来た。絶対的に聴いた人はビビるぜよ。(中略)ソウ君、ダイちゃん大活躍。俺、かとをはぼちぼち活躍。
~~志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』 2009年9月6日

フジファブリックは『MUSIC』からレコード会社を移籍しているのですが、志村は「次のアルバムはみんなで曲を持ち寄って作ろう」と話していた。

その流れの中、デモで志村の歌入れまで済ませていたもの、アレンジまで固まっていたものもある。一方で、やることは決まってはいたけれど歌録りがまだであったり、「歌詞がほとんどできていない」とか仕上がりはバラバラだったそうで。

それを残されたメンバーが引き継ぎ、完成させたものが『MUSIC』。7曲目の「会いに」はサビ以外の歌詞は出来ておらず、三人それぞれが続きを書き、三人それぞれが歌入れをし、「どのバージョンが一番よいか」、話し合って決めたそうです。で、山内になったと。

なお、それぞれの楽曲の背景などは制作スタッフによるライナーノーツに詳しいです。

ラストの『眠れぬ夜』には歌詞にはない志村の肉声が入っているらしいです。「悲しまなくてもいい」と。これまた意味深ですが、「違う歌詞を当てはめたらどうなるだろう」と試しに志村が残したトラックなのではないか、ということ。今回、音量をあげて敢えて組み込んだらしいです。

魚の目
らしい、らしいばっかだな。

実を言えば、このアルバムはまだ聴いていません。

志村版フジファブリックは残すところ1枚のみ。もう少しもったいつけて聴きたいわけで、ここは「聴いてないくせに原稿書く」みたいな書き手としてあるまじき行為をしているわけですが。

※聴きました↓

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やることがあるのが救いだった(金澤ダイスケ)

メンバーはこの時期、何を感じていたか。

年末フェスを控えた突然の訃報に、山内はただ茫然とし、顔を真っ赤にしながら朝まで歩き続けていた、みたいなことを何かで読みました。加藤やダイちゃんも「自分が何を感じているかもわからない状態」が続いていたようで。

あの時は……とにかくやることがあったっていうのが救いだったと思います。志村はいなくなったけど、『フジフジ富士Q』はちゃんとやろうと。そして『MUSIC』を作る。この2つがあったから、あの時期をどうにか乗り越えられたというか。
~~金澤ダイスケ『週刊金澤 2007-2014』

『フジフジ富士Q』は志村の生前に決まっており、フジファブリックにとっても2010年の目玉になるイベントでした。

会場の富士急ハイランド コニファーフォレストは15歳の志村が奥田民生のライブを観、「オレもミュージシャンになる!!」と決めた場所でね。思い入れの非常に強い、夢の会場でもあったわけです。

「僕のライバルは(未だに)中3んときに観たあの民生さんなんですよ。(中略)あぁなりたいというより……ああいうことができるミュージシャンになっていきたい」
――なれたらどうなるんだろうね。
「コニファーでライブをやって、自分もああいうことが出来たら……ようやく違う段階・・・段階じゃないな。なんだろう……『ウォー』って吠えてる自分がいると思う」
~~志村正彦『音楽と人』(05年)『FAB FOX』リリース後のインタビューで

結局、『フジフジ富士Q』はさまざまなアーティストがフジファブリックを歌うライブとなりました。

奥田民生はもちろん、志村正彦の元バイト仲間だった氣志團とか、楽曲を提供している藤井フミヤやPUFFY、親友で同じマンションに住んでいたメレンゲのクボケンジ、吉井和哉や斉藤和義や和田唱(TRICERATOPS)や。


フジファブリック presents フジフジ富士Q -完全版- [DVD]

そうして、ライブの最後で山内が「会いに」を歌った。人前で歌うのはこれが初めてでした。

結構な人数の前だったんで、圧を感じて。魂が細くなる感じを覚えました。でも、とにかくやり切ろうと。その後、「フジフジ富士Q」が終わった後くらいから、ご飯も食べられないぐらいの疲労感もあって、脱力感もありますし、「何かがひとつ終わった」という気持ちになりました。どういうふうに生きていこうっていうのを一番考えた時期でもあったと思います。

~~山内総一郎『ダ・ヴィンチニュース』(14年8月2日)

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自分が歌えば、何か言われるのはわかってる(山内)

『フジフジ富士Q』の開催も『MUSIC』のリリースも2010年の7月。

アルバムの方は「時間が空けたらもうできないだろうなって気がしていたんですよ」と山内は語ります。「アルバムと富士急のライブだけは絶対やる。やらないと自分たちはもう意味のないものなんじゃないかって気すらしていて」と。

魚の目
脱退を考えていた彼の心情は推してはかるべし

まったくです。
『MUSIC』で2曲のボーカルを務めたものの、この時点では「自分がフジファブリックのボーカルを引き継いでいく」ということまでは考えてはいなかった節。考えられる状態になかったというのが正確でしょうが。

10年7月にライブを終えた後、メンバーはしばし別のバンドのサポートに入ります。月一回ほど3人で会って近況報告し合おうと。

その時にバンドについて、まず解散はしないってことは決めていました。それは俺たちが作ったバンドじゃないから。だから「やるかやらないかだね」って話だけはしていて。
~~山内総一郎『フジファブリック 山内総一郎』

結局、他バンドのサポートをすることにより、「バンドの楽しさ」だとか「フジファブリックの音楽」を再確認することに。休止期間を経て、翌年11年の4月に3人体制での活動を発表します。震災のすぐ後だったんですね。

魚の目
山内自ら「俺が歌う」と言ったそうだが。

葛藤はあったと思いますよ。メンバーに言ったものの、自信があったわけではない。

たとえば、「やっぱり志村の歌じゃなきゃ!」といってやまないファンもいる。「今のフジファブリックはフジファブリックじゃない」というファンもいる。わかったうえで、山内は言います。

俺が歌っているフジファブリックに対して、今後もいろいろなことを言われると思うんです。そういうのは最初からわかっていたんだけど、それでも最終的には自分はそういう生き方を選ぼうって考えたわけです。   ~~山内総一郎『フジファブリック 山内総一郎』

『CHRONICLE』で脱退を考えていた山内ですが、自分がフロントマンになって志村のあの時の気持ちが痛いほどわかるようになった、とも。

魚の目
歌を歌うやつは自分のことを歌わないといけない、と。

編集後記?

 

さて。

第一弾第二弾と第三弾の今回、最後まで読んで頂きありがとうございます。

フジファブリック、2019年でデビュー15周年を迎えました。志村がいなくなって10年。インディーズの頃があるにせよ、実質的に3人体制の方が長くなってしまいました。

私は未だ3人の10年間を知りません。
最初にミュージックステーションで彼らを見た時、その後に検索した時、『若者のすべて』を聴ければいいくらいの気持ちでした。もう少し興味が湧いて、他の曲を聴き始めた時も「多分、ブームの波が来ているだけでひと月もすれば飽きるだろう」くらいに考えていました。

それが結局、CDを買い、本を買い、雑誌を買い、DVDを買い(個人的に音楽DVDを購入したのは生まれて初めてです)・・・とやっているうちに、志村以外のメンバーにも興味が湧くようになってきた。そうして、長々3万字近い文章を書くに至ったわけなのです。

こんな長いの、誰が読むのか。いや、ファンならば読むだろう。だって、私はこの数か月間で100万字くらい(テキトー)は読んでいるから。長年のファンなら「なんだ、知ってることばかりだよ」と思ったかもしれませんが。

ともあれど。
知らない曲がまるまる10年分(+『MUSIC』)がある私はかなり幸せなファンだと思います。まず手始めにベストの『FAB LISTⅡ』から聴こうかな。それから歴史を遡っていこうかな。


FAB LISTII (初回生産限定盤) (特典なし)

いつかライブに行きたい、いや、絶対に行こうと思っています。

魚の目
絶対にね。

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志村正彦が好きだった『スクール・オブ・ロック』について↓

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