志村時代のフジファブリックを知りたいあなた、はじめまして。
自分で言うのも何ですが、本シリーズは志村時代のフジファブについてはネット上にあるどの情報よりも詳しいと思います。
かくいう自分はデビュー15周年経ってフジファブリックをやっと知った遅すぎファン。けれど、「知りたい欲」が収まらず、大宅文庫や国会図書館で過去のインタビューを読み漁った。ここに、ライター歴20年のキャリアを駆使して過去のインタビューを再編成!
ただし、【まとめ】とありますが、3万字以上ありますので第二弾、第三弾と続きます。志村のデビュー前からインディーズ時代、今は亡きボーカル志村正彦時代を最後のアルバム『MUSIC』(2010年)までの軌跡となります。
要はファン以外にはよくわからん記事かもしれんってことです。
初回はデビュー前夜から1stアルバム『フジファブリック』までを、志村本人や山内総一郎らメンバーのインタビューを中心に振り返っていきます。
ちなみにフジファブリックはギター担当だった山内がボーカルを引き継いで、現在も絶賛活動中。
[adcode] 「あと20年、30年は続けます!」 そう言っていたくせに、その年のうちに死んでしまった。 志村正彦とはフジファブリックの元ボーカルで、2009年のクリスマスイブに亡くなったミュージシャンです。享年29歳。なぜ[…]
このページにたどり着いた人は知っているか、そんなことは。数か月前まで志村のことも知らなかった私とは違って。
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フジファブリックのインディーズ時代~メンバーのインタビューから
「100パーセント、ミュージシャンになれると思ってた」(志村正彦)
フジファブリックの結成者は志村正彦(1980年生まれ)です。
当初のバンド名は富士ファブリック。元は高校時代のコピーバンドで仲間の実家の会社名がその由来。
後にバイト仲間となる氣志團の團長に「カタカナにしたら?フフフって重なる感じが面白いだろ」と言われ、フジファブリックになったと。
ともあれ、志村は中三の時に地元・山梨の富士急ハイランドで奥田民生のライブを観て「今日で人生変わった!」「絶対ミュージシャンになってやる!」と思ってバンドを始め、上京したクチです。
……では終わらなかったのがすごいところで。
「100パーセントなれると思ってたから、東京に来たんですよね」
「必ずメジャーデビューもできるし、その根拠があったんですね」
~~志村正彦『FAB BOOK』より
※一応。左から金澤ダイスケ(Key)志村正彦(Vo&Gt)加藤慎一(Bass)山内総一郎(Gt 現在はVoも)
志村は楽器にしても曲作りにしても、当時からものすごい時間を費やしていました。また、高校生で上京費用をためるためピザ屋のバイトを掛け持ちし、作曲するためにピアノ習い(月謝も親に頼らず、自分で稼いだ)、デモテープを作った。で、論点を提示して親を説得した。
「人の三倍は努力しないと」、初期のインタビューで語っていた志村ですが、努力が実を結ぶよう、ロジカルに戦略を練ったりもしていた。
年間計画から月間、週間、日々の計画まで立てて「ミュージシャンになる!」夢を遂行した、というのか。
これね。私は昨今、経営者取材ばっかりしているのですが、志村のようなタイプって起業家によくいます。
成功を収めた経営者ってロジカル戦略、計画マスターみたいな人が、とても多い。そういえば、経営者じゃないですけど、山ちゃんも似たタイプか。
仮に志村が音楽以外の別の夢を描いたとしても、おそらく成功したのだろうなぁと思います。志村、こんなことも言っています。
正直言うと、頑張ったなあと思います。よく諦めなかったなと思って、あの状況の中。(中略)よく人に「君、運がいいね」みたいに言われるんですけど、「そうかもしんないけど、そういうふうにしたんだよ」って思って。
(中略)どんな職業でもそうだと思うんですけど、ほんとに夢かなえたいなら、考えられるすべてのことをやって、最善を尽くすべきだと思うんですよね。でも、これで終わりじゃなくてこれからなんですよね。
~~ 2009年のインタビューより。「東京、音楽、ロックンロール」志村正彦
インディーズ時代、曲はあってもメンバーが見つからない(志村正彦)
上京して、志村は「ミュージシャンになる」確率を高めるために、バンドマンの多そうな高円寺に住み、ライブハウスでバイトを始めます(日中コンビニバイトとの掛け持ち)。
東高円寺にある「東京ロサンゼルスクラブ」。私はこの店の徒歩5分くらいのところに昔住んでました。おそらく志村がバイトしていた頃に。
まぁ、他に自慢できることもないのでいいじゃないですか、これくらい。
それはともあれ、「東京ロサンゼルスクラブ」には氣志團のメンバーがいました。
志村の面接をしたのも氣志團のメンバー。彼らが売れっ子になる少し前くらいのことなのかな。フジファブリックのマネージャー、大森ゆかり氏を紹介したのも氣志團長でした。「志村は地味だけど天才だ」とマネージャーに話したらしいのですね。
後に代表曲となる『茜色の夕日』も上京後さっさと作ってしまって。デモテープを聴いたレーベルから誘いもあったりして。
でもなかったようです。
ライブやっても、3人しか客が入らないとかね。
でもって、志村以外のメンバーはくるくる変わっています。高校時代のメンバーは学業や仕事だったりでバンド活動を離れたり。新しいメンバーが加入してもまたやめたり。
曲はあるのに、メンバーがいない。
すぐにメジャーデビューみたいなつもりがなかなかデビューができない。志村は当時を振り返り、「怖くて仕方なかった」みたいなことを語っています。
デビューまもなくのインタビューで志村はしょっちゅうそんなことを言ってましたね。そんなの、どうだってよいじゃんと正直思いますが、彼は彼なりの美学があるというのか、諸々こだわりの強いタイプというのか。
幼馴染みのドラマーはデビュー直前までバンドに残っていたそうですが、軽微な身体的障害もあり、プロで通用するほどに上手くは叩けなかった。
泣く泣く切ったみたいな話を聞きました。ドラム当人は「はっきり言ってくれて志村に感謝している」と男気のあるコメントを残しており、脱退後も親しく付き合っていたそうですよ。
インディーズ版『アラカルト』の後、金澤と加藤が加入
2002年にインディーズ・レーベルから『アラカルト』をリリースしています。
全作詞・作曲:志村正彦
1、線香花火
2、桜並木、二つの傘
3、午前3時 ――本アルバムのみの収録
4、浮雲
5、ダンス2000
6、茜色の夕日――志村の若い頃のPVあり。メジャー版とはアレンジが異なる。
『午前3時』以外はメジャーデビュー後になんらかの形で発表されている曲ばかり。のちのバンドメンバーは本作では志村のみ。
この作品を発表した少し後に、キーボードの金澤ダイスケとベースの加藤慎一が加わったのかな。知人の紹介を通じて。
で、加藤慎一による志村の第一印象ですが。
志村君は最初に会った時は人あたりがよかったんですよね。その日はなんか気分がよかったみたいで(笑)。でも、付き合い初めてみると、そうでもないところもあったりして。人見知りだったりするし。 ~~加藤慎一「FAB BOOK」より
コメント通り、志村は相当な人見知りだったらしく、この手のエピソードは枚挙にいとまがありません。加藤自身はさほど気にすることもなく「フジファブリックなら面白い音楽がやれそうだ」と考えていたそうで。
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山内総一郎を痺れさせたインディーズ第二弾
でもって、2003年には『アラモード』をリリースします。
2、追ってけ追ってけ
3、お月様のっぺらぼうーー本アルバムのみの収録
4、消えるな太陽 ――本アルバムのみの収録
5、環状七号線
6、笑ってサヨナラ
ギターの山内総一郎、現在は志村を引き継ぎボーカルも務める山内が「フジファブリックに入りたい!」とコンタクトを取ったのはこの後。
詳細を言えば、1枚目のアルバムも聴いていたけれど、その時は「ふーん」程度で終わってしまったと。
けれど、2枚目の『アラモード』は金澤、加藤の加入により、演奏レベルが上がったこともあったのか、完全にやられてしまったと。『花屋の娘』なんかは金澤がそれまでなんとなく手癖で引いていたフレーズが使われていたりもしているらしいですからね。
志村、山内総一郎の売り込み電話で2分間沈黙
さて、山内総一郎と志村の最初のエピソード。これちょっと面白いです。
ドキドキしながら“一緒にやりませんか”って送ったら志村君から電話がかかってきて“どんな音楽が好きなんですか?” “ビートルズとか” “ああ……”って。 そこから2分くらい沈黙が続くんですよ。なんで、こんなに間があんねんっていう(笑)。
~~山内総一郎「FAB BOOK」より
大阪人の山内総一郎、微妙に浮く
一方で、山内総一郎の第一印象についてメンバーは
「陽気な人が入ってきたなぁって」(加藤慎一)
「自分(金澤)や加藤や志村とはちょっと違う感じだぞ、って。関西の人だし、なんかこう、『ギタリスト!』って感じがあって」(金澤ダイスケ)
このノリの違いに山内も気がついてはいました。
「ほんまにわーってノリで言ったらみんなシーンっていう(笑)。関西弁のニュアンスでお前アホか!っていうと、特にナィーブなダイちゃん(金澤ダイスケ)がシュンってしちゃうっていう」 ~~山内総一郎「FAB BOOK」より
ともあれど。
同時期にドラマー、足立房文がフジファブリックのサポートに。山内、足立の両名はメジャーデビューの直前、2004年1月に正式加入することになります。
メジャーデビューの打ち上げも静か(山内総一郎)
インディーズ版より7曲を収録(アレンジは異なる)したものです。限定版でもはや入手困難な。個人的には『茜色の夕日』はもちろん、『環状七号線』が大好きですね。
2、花屋の娘 (FAB LIST1に収録)
3、線香花火
4、ダンス2000
5、環状七号線
6.浮雲
7、笑ってサヨナラ(FAB LIST1にも収録)
※「FAB LIST1」はファンの人気投票によるベストアルバム
ちなみに、メジャーデビューが決まったバンドというのは「大盛り上がり!」みたいなイメージがあるでしょう。
けれど、フジファブリックの場合、そうではなかったと言います。
打ち上げには行ったけれど、「ハッスルするでもなく、みんなで静かに話していた」(笑)という。1stアルバム『フジファブリック』の作風に通じる気はしますが、当時の志村の信念なのか、今考えるとちょっと異様な感じもします。
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志村くんは口を開くと厳しいことばかり(山内総一郎)
後年のフジファブリックを見ていると「メンバー同士、なんだかんだ仲が良いのだろうなぁ」と感じるシーンは多いです。メンバー間で普通に羽目外したり姿もあったり。
そういう風景から入ったファンにとって、「会話のないメンバー」というのはあまり想像がつきません。
「志村くんはとりあえず喋らんし、口開くと厳しいことばっかり言うっていう。最初はそんな感じでしたね。真面目なひとなんやろうなって言うか、A型っぽいって(笑)」 ~~山内総一郎「FAB BOOK」
「志村が『音』で会話するっていう謎のこだわりがあって。『音じゃなくてちゃんと喋った方が早かったね』って後々になってわかるんですけど」 ~~金澤ダイスケ「週刊金澤」
それがどのようなきっかけで変わっていったのかは謎ですが、志村自身、当時は鬼軍曹だったことを認めています。
「ちょっとドラムのフィルインとか間違ったりしたら、『はい、止めて!』って。(中略)それでこう、グワッーっていつも言ってたんです。声を荒げてってわけじゃないですけどすごいピリピリしてた」 ~~志村正彦「ロッキング・オン・ジャパン」2005年6月号
インディーズ版の印税でみんなにゴチ(志村正彦)
「志村サゲ」みたいになってきた気がするので、一応書いておきますが、彼は鬼軍曹だった時も仁義に厚い鬼軍曹でした。
「アニキ肌ってわけじゃないけど、男気はある。気が付いたらちゃんとやっておいてくれるような男」だとインディーズの頃のメンバーも語っています。
もう一つ。インディーズ版はロフトのレーベルからリリースしたのですが、担当者への恩義を忘れなかったそうです。
上司とケンカし凹んでいる担当者に対し、「フジファブリックが有名になって見返してやりますよ!」と一緒に怒ったり。
普段は連絡をよこさないのに、誕生日にはひょっこり「おめでとう」メールを送ってきたり。
インディーズ版の印税が入った時はみんなにお酒をご馳走したりとか。
こちら、ロフトプロジェクトの樋口寛子さんが、志村急逝後に書き残したもの。しんみりしますが、彼の別の面が伺える良い話です。
1st 『フジファブリック』スランプなのにメジャーデビュー
さて、メジャーデビュー後の1stアルバムは『フジファブリック』
2004年12月にリリースされ、当時のオリコンチャートは17位です。
F★1.「桜の季節<Album Ver.>」(1stシングル)
★2.「TAIFU」
F★3.「陽炎」(2ndシングル)
4.「追ってけ追ってけ」
★5.「打上げ花火」
6.「TOKYO MIDNIGHT」
★7.「花」
F★8.「サボテンレコード」
F★9.「赤黄色の金木犀」(3rdシングル)
★10.「夜汽車」 (★印は個人的にお気に入り。F=ファンの人気投票で選ぶベストアルバム『FAB LIST1』収録曲)
初めてこのアルバムを聴いた時、「これは期待される!期待する!音楽業界からも、通好みのファンにも」と思いました。武骨な文学ロックという感じ。インディーズ版同様、ボーカルの志村正彦による全作詞、作曲。まだ24歳で、けれど、すっかり完成形。
志村いわく「デビューから2008年ごろまでずっとスランプだった」とのこと。アルバムを聴くと、何を言っとるのじゃ、という気にはなりますがね。
過去記事を探っていると、
「なかなか曲ができなかった時期でしたね。だから朝から晩までスタジオに缶詰で」(金澤ダイスケ)
「レコーディング始まっても、とりあえず曲がなくて。曲が浮かばないからスタジオで固まってしまった」(志村正彦)
なんてコメントがボロボロ出てくる時期でもあります。
「銀河」の歌入れを飛ばした(志村正彦)
なお、本作をプロデュースした片寄明人氏も「新人バンドはアルバム2枚分ほどのストックを持ってメジャーデビューするのが普通だけど、フジファブリックの場合、1枚分のストックもなかった」と書いています。
別記事でも紹介しましたが、片寄氏は志村逝去後、Facebookで長い手記を発表。そこに綴られた1stアルバムの製作秘話はファンならずとも必読です。ミュージシャンが語る音楽の話はどうしてこうも面白いのか。
手記には4枚目のシングル『銀河』(も、このアルバムと同時期にレコーディングされた)のちょっとしたゴタゴタも書かれていたりしたのですが、これを読んで「あっ!」と思ったのが志村正彦と奥田民生の対談(「ブリッジ」2009年11月号)です。
志村「俺、レコーディング飛ばしたことなんて1日しかないすよ!歌入れの“銀河”の時!」
銀河はアルバムバージョンで「FAB FOX」にも入っていますが、さてどちらのことか。
なお、レコーディングって一曲一気に録るのではなく、ドラムスを録音したらベース、ギター、キーボードみたいにパートごとにやっていきます。オケ部分が出来たらボーカルによる歌入れし、コーラスを足し、最後にそれらをミックスして……みたいな感じ。多分。
自分に関係ない時は行かなくていいじゃんか、と思いますが、フジファブリックの場合、それぞれのパートを「監視」(志村談)しに行っていたようです。
2話目に続く!
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タイトルについて補足。ご存じの方は蛇足で失礼。 志村正彦とはフジファブリックの元ボーカルです。名ソングライターでもあり、バンドの代表曲『茜色の夕日』や『若者のすべて』のほか、他アーティストの作品など80曲以上を生み出しました。 […]
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