初めて知ったバンドの曲を一日中聴いていました。
ループにつぐループ。頭の中、同じメロディー流れっぱなし。「何やってんじゃ、自分!」と感じたのはもちろんですが、同じ問いを過去の自分にも浴びせたいと思いました。
バンドは15年も活動し、曲は12年も前のもの。その曲を作ったボーカリストは10年前に他界していた。
それを知らずにこれまで生きてきた、自分の音楽情報弱者っぷりに改めて愕然としたわけです。
そう。かつては若かったのに今は限りなく50代に近い40代。音楽が消えて久しい年代です。
なぜ、音楽は人生から消えていくのか?
自分に限らず、年を取ると、多くの人生から音楽が消えていくのか?
その理由を考えたいと思います。
30歳を過ぎると新しい曲を聴かなくなる
まずは、データによる前提。
イギリスの研究によると、人は24歳をピークにして新しい音楽を聴かなくなるそうです。さらに、30歳を過ぎると過去に聴いた曲ばかり聴くようになる。
まさに。自分をもとに研究したのかと思いましたよ。
家にあるCDの8割は30歳以前に買ったものばかり。
もっと言えば、35歳以降で新しく知り、興味を持ったミュージシャンなどせいぜい数組。この10年で買ったCDは2枚くらい。しかも、U2とかクィーンとか元々知っていたバンドばかり。ダウンロードしたのも10曲以下。
19年には松田聖子のコンサートに行きました。別にファンだったわけではありません。シングルコレクションばかりのツアーで「たぶん、曲は全部知っている!知っているから楽しいはずだ」と思い、同年代の女友達と連れ立っていったわけです。
でもって、さいたまアリーナは同年代ばかり。新しい曲ではなく、耳慣れた古い曲を聴きたい私のような者ばかり。
実際、楽しかったですよ。
けれど、今現在、音楽と人生がつながっている若人たちから見ると、この現実は少し恐ろしいことなんじゃないかと思うわけです。
10年間でCDを2枚しか買わず、唯一行ったコンサートがまさか聖子ちゃんだけとはね。
いや、楽しかったんですけどね。
20代の頃は音楽がない生活なんて考えられなかった
こんな自分でもかつては音楽とつながっていました。
10代の頃の洗礼はMTVとベストヒットUSA。
テクノ流行りでシンセサイザーを貯金おろして買ってみたり。
その1週間後に交通事故に遭い、3か月入院し、退院する頃にはシンセ熱は冷めていたり。
20代でライターになった私はロッキング・オン編集部を二度受けて二度落ちました。それはいいんですけどね。
今を鑑みるに、渋谷陽一は「私を落としてしかるべき」でした。
ともあれど。
周囲には音楽に詳しい友達がたくさんいてライブにもよく誘われました。
フジロックフェスティバルの記念すべき第1回目にも行っていますが(中止にならなかった日の方)、これはどちらかというと誘われて断れなかったため。
要はそこまで詳しくはないけれど、ふつうに音楽は好きでした。ある意味、一番ボリュームに近いゾーンにいたのではないかと。そんな人間の20代と40代とを比較してみます。
【音楽の重要性】
音楽業界衰退の構図なんてものではない。
私に限らず、多くの同世代(特に既婚、特に子持ち)は似たようなものだという気がしています。
なぜ、私の人生から音楽が消えていったのか
次にこの原因を自分のケースから考えてみたいと思います。
まず、①です。
自分の人生から新しい音楽が消えたのは34歳で子どもが生まれて以降です。これはよくあることだと思います。
音楽聴いても『かわいい魚屋さん』とか『アンパンマンのマーチ』だったり。子どもって同じ曲を何度も何度も聴きたがります。かわいい魚屋さんのの延々ループです。
曲が掛かっていなくても子供というのは騒がしいのです。1時間に1回の号泣なんてもんじゃないです。
無音の状態というのが稀少となる上、子が眠っている間は音楽を掛けられません。
無音が恋しく、やがて無音に慣れていきます。
②ですが、自分が音楽から離れたころにiPodが流行り、ダウンロードが登場した。そういう世代としては未だにこれらメディアに親和性がありません。
「よくわからない」とは字義通り。ダウンロードするためにアプリ入れろとか、ログイン時にアップルID入れろとか、パスワード入れろとか言われたりすると、うんざりするわけです。自分のID覚えてないし。
ダウンロードとアプリとパスワード。40女の三大鬼門が人生から音楽を遠ざけます。
もしかしたら、ちょっと違うのかもしれないけどきっと大体そんな感じ。ちなみにCDに焼くのもよくわかりません。カセットデッキでダビングの方がずっとマシです。
(※その後、少し進歩してAmazonMusicユーザーになることはできました。なんか嬉しい)
③ です。
物語が必要ない、なんて青臭い物言いで恥ずかしくもなるのですが。それを承知の上で続けると音楽というのはある種「世界に対する美しい誤解」です。または、「自分に対する美しい誤解」かもしれません。
日本の音楽はとりわけ愛と恋とで満たされています。その用途以外のものはほとんどない。
30歳を越え、40歳を越えると恋などかなりの割合でどうでもよくなる。そうすると、新しい音楽にも酔えなくなっていきます。
音楽にある物語性が自分の現実にとってむしろ邪魔に思える時すらある。
「洗濯槽のカビ取りは塩素系漂白剤より酵素系を使ったシャボン玉せっけんのが一番取れる」みたいな、そういう「ただの現実」が人生の大部分を占めるようになると、音楽の物語は必須ではなくなります。
「ただの現実」のための情報には詳しくなるけれど、新しい音楽に関しては情報弱者になっていくのです。
※追記。恋などどうでもよいですが、その後、ペットロスの際に音楽の力に救われました。
自分の最期には音楽の力を
なんだかつまんなさそうな人生だな、と若人は年を取るのが怖くなったかもしれません。音楽がない生活は味がないように思えるかもしれません。
ただ、自分の中では「音楽なしでも生きていける人生」に変化したともいえます。それ以前は音楽依存症気味というか、無音状態には耐えられませんでしたから。
若い頃は多分にメンヘラ気味(そんな言葉は当時ありませんでしたがね)であった自分が、音楽の陶酔なしでもやっていける生活を手に入れたとも言えるのか。
受けますよ。
数年前の紅白でその年前半にさんざ流行った『PERFECT HUMAN』を聴き、「へー、面白い曲だな」と本気で感心してしまった自分に大いにショックを受けました。
一方で、音楽がまた必要になる時が来るかもしれない、とも思っています。今よりさらに歳を取り、病気なのか認知症なのか、読むことも書くことも出来なくなった時とかね。
意識を失っても耳だけは聴こえているという話はよく聞くでしょう。仮に意識があやふやになったのなら、思う存分、「世界への美しい誤解」の中で過ごせたならそれは幸せなことのようにも思うわけです。
そうそう。冒頭の話。心打たれた10数年前の曲はフジファブリックの『若者のすべて』でした。
[adcode] 「あと20年、30年は続けます!」 そう言っていたくせに、その年のうちに死んでしまった。 志村正彦とはフジファブリックの元ボーカルで、2009年のクリスマスイブに亡くなったミュージシャンです。享年29歳。なぜ[…]
※追記。
音楽聴かない理由をここまで書いておいてなんですが、フジファブリックを機に私の音楽人生は緩やかに再始動しました。すっかりAmazonMusicのヘビーユーザーですよ。
『アンパンマンのマーチ』で私を苦しめた子どもがティーンエイジャーになり音楽に没頭し始めたことも大きいかもしれません。業界の方、マーケティングの参考までに♡